[映画] ファンタジア Fantasia (1940年)
[映画] Knock Down the House (2019年)
[人] リゴベルタ・メンチュウ Rigoberta Menchú (1959-)
[映画] La Jaula de Oro – Golden Dream (2013年)
[映画] クレイジー・リッチ! Crazy Rich Asians(2018年)
[映画] 風立ちぬ(2013年)
この宮崎駿原作監督のアニメーションは飛行機設計家の堀越二郎(1903−1982)の物語であるが、筋書きには作家堀辰雄(1904−1953)の人生と彼の自伝的小説『風立ちぬ』の要素が組み合わされている。日本の歴史の中で難しい時代を生きた堀越二郎と堀辰雄は宮崎に強い影響を与えたと思われる。宮崎は映画広告で両人に献辞を書いている。この映画は堀と堀越のどちらの伝記でもないけれども、両人の生き様を見事に捉えて見る人の心を動かす。加えて、この映画は「どうして宮崎は紛れもなく平和主義者なのに戦闘機、戦車、銃火器などの兵器に魅かれるのか」というファンの(そして恐らく彼自身の)疑問に対する答でもある。彼はこの映画で説得力のある答を示すのに成功している。私見だが、画質では宮崎の過去の作品には及ばないにも関わらず、私はこの映画を彼の最高傑作と考えている。
初期の飛行技術の発達がベルエポックの興隆と終焉に果たした役割
ベルエポック(美しい時代)は通常第一次世界大戦の前の40−50年の期間を指す。この名の由来はこの期間にヨーロッパと先進国は比較的平和を楽しみ、技術革新が爆発的に進んだ事による。例を挙げると鉄道網の発達、電気配線の始まり、電話(1976)蓄音機(1877)電灯(1880)の発明、エッフェル塔とパリ万博の開催(1889)、ラジオの発明(1897)、巨大客船の就航、高層ビルの建設、最初の飛行機(1905)、自動車の大量生産(T型フォード、1908)などである。この技術の発達は富裕層だけでなく、社会全体の人々の生活を変え続けた。もちろん貧富の差や過酷な労働環境などの深刻な社会問題は存在したが、ベルエポックでは科学技術の進展が人々に力を与え、生活を豊かにするという希望が基調にあった。言葉を変えると、人々の生活は良くなり続けるだろうという将来に対する楽観がこの時代にはあった。
堀越はベルエポックの最後の十年くらいに生まれ育ち、飛行技術の驚くほどの発達を目の当たりにして成長している。これは人間が人類史上初めて鳥の様に空を飛びはじめた時である事を考えれば、彼が飛行機に魅了され飛行機を作りたいと思ったのは不思議ではない。『星の王子様』の作者であるサンテグジュペリ(1900−1944)は堀越と同世代であり、彼も飛行機に魅了され飛行機のパイロットになる道を選んでいる。黎明期の飛行経験がサンテグジュペリの世界観に与えた影響は彼の傑作『人間の大地』などに生き生きと書かれている。鳥の様に飛ぶことで彼は人類がこれまでに行った事のない所へ行き、これまでに見た事もないものを見たのである。
第一次世界大戦の期間に技術革新は更に速く進んだが、皮肉にもこの技術の進展自体がベルエポックに終焉をもたらした。兵器の進展により前例のない6百万人もの兵士が大戦で死亡した。戦場はもはや勇者が輝く場所ではなく、恐ろしい大量殺戮の場所となった。砲弾ショックという言葉が大戦中に生まれたが、これがPTSDとして治療が必要な障害と認識されるのはずっと後の事であった。当時は砲弾ショックの兵士は弱虫として懲罰の対象とされていた。飛行機もこの大戦中に強力な殺戮兵器に変貌し、それ以来軍事力競争が航空技術革新の推進力として機能した。堀越は有能で献身的な技術者として戦闘機の設計を主導した。最新の技術を駆使して最も進んだ飛行機を作りあげるという事は、芸術家が革命的な技法で新しい作品を生み出すのに比べられるものだった。しかしながら第二次大戦の勃発で彼の努力は悲劇となった。
宮崎自身も黎明期の飛行技術の美しさと危険に惹きつけられた。彼の作品『紅の豚』(1992)はコミカルな娯楽作だが、『風立ちぬ』の主要テーマはすでに『紅の豚』の中に見出される。初期のパイロットと飛行機設計者の勇気と情熱、初期の飛行機を操る美しさと危険、そして飛行機の持つ兵器としての悲劇的な性格などである。宮崎と同じく私も子供の頃に飛行機、特に戦闘機に興味があった。戦闘機は最高の機能を追求する結果、そのかたちからある種の美しさが放射される。それに比べ民間機は経済性第一のため、戦闘機の持つ畏敬感に欠ける。この戦闘機の持つ魅力は優れた芸術作品の美しさの様なものであり、殺戮兵器だという知識で打ち消せるものではないだろう。
愛と死の物語
この作品では堀越の飛行機設計に対する情熱に堀辰雄の愛と死の物語が取り込まれている。結核は第二次大戦までの日本では早死の第一の原因だった。堀自身も結核にかかり、彼の婚約者はこの映画と同様若くして結核で亡くなっている。死の陰りは堀に彼の人生と愛のはかなさを常に思い出させた。宮崎はこの二つの話を取り合わせるのに驚くほど成功している。二つの話が互いに強め合い、作品に深さを加えている。これにより作品は只の仕事好きのエンジニアの話、あるいは只の若死する恋愛悲劇以上のものとなっている。彼等の生きた時代は今以上に制約の多い時だった。彼等の人生を左右する事の多くは自分の力ではどうする事も出来ないものだった。しかしながらこの映画に出てくる人達は言い訳をする事なく彼等の力の及ぶ中で愛し合い、助け合い、夢を追求した。迫る死の中でも主人公は彼女の人生をいっぱいに生きた。
ポストベルエポック:我々皆が生きる時代
第一次大戦中もその後も技術革新は呆れる程の速さで進んでいったが、ベルエポックの頃の科学技術に対する楽観的な信頼は恒久に失われた。第一次大戦での類を見ない死者の数と残虐さを前に、互いに殺し合うための技術が進み過ぎたのではないかと人々は考え始めた。しかしながら人々が国どうしの全面戦争を回避する道を本気で探り始めるのは第二次大戦における第一次大戦をはるかに上回る犠牲者と原子爆弾の発明の後だった。第二次大戦の後も技術は進み続けた。抗菌剤の開発で結核はもはや早死の一番の原因ではなくなり、ジャンボジェットは長距離の旅の時間を短縮し、コンピューターとインターネット革命は我々の仕事と暮らし仕方を根本から変えた。GPSを使う洗練された兵器は戦争の犠牲者を減らせるはずだった。
進んだ兵器は21世紀に独裁政権を倒したが、デモクラシーを振興し人々の生活を良くすることはできず、内戦の犠牲者は続いている。技術の力は万能では無いが、良くにも悪くにも我々に大きな影響を与える。兵器の技術革新がもたらした何千万人もの戦争の犠牲者と冷戦の恐怖の教訓を忘れてはならないだろう。もう一つの技術革新の深刻な結果は人間の活動が自然環境に与える影響が飛躍的に増大した事である。人類史上ベルエポックに到るまで、ひ弱な人間の活動など大自然に大きな影響を与える事などあり得なかった。技術の進歩と人口の増加した現在ではこの想定も根本から崩れてしまった。我々の活動の環境に対する影響は明日とか数年のうちとかに見えてくるという様なものではないだろう。しかし次の世代が住む世界に多大な被害を与えない様に行動するのは我々の義務である。
堀越による技術革新の情熱的な努力は社会の発展に寄与することができなかった。これが我々の生きている世界の現実である。ポストベルエポックでは未来は予測できない。技術革新は続くだろうが、それがより良い将来をもたらすという保証はない。我々が獲得した知識を消す事はできない。我々に出来るのはこの強力な技術で何をするかというのを賢く決める事である。この映画には何をすべきかという答はない。我々の誰も確かな答など知らない。『風立ちぬ』は飛行機愛好家と日本の過去に興味のある人達だけのための映画ではない。この映画は全世界の人々が現在直面している技術の進歩のもたらした問題を提示しているのだ。